又、6月23日がやってきた。
この日は忘れようと思っても忘れられない日。
約20年間連れ添った愛猫”カルビ”の命日。
このブログでも数回カルビの事について何回か書いた。
何十年も前にいなくなってしまったが、こいつの事だけは忘れられない・・・
もうあれから何十匹も猫を保護して一緒に暮らしているのだが、こいつだけは別格。
勿論、どの猫も可愛いし終生出来る限りの事をして育てたが、やはりカルビ以上の猫はいなかった。
今回はカルビとの思い出や不思議な出来事を物語風にまとめてみました。
さよならのハグは、夢の中で ~20年連れ添った相棒との最後の約束~
相棒と僕の、穏やかな黄昏

時計の針が午後を指し、窓から差し込む西日が部屋の床を橙色に染め上げる頃、僕の足元にはいつも、毛玉の塊のような温もりが存在した。
その温もりの主は、カルビ。
僕が人生の約半分、20年という歳月を共に過ごしてきた、かけがえのない相棒だ。
カルビは、ただの猫ではなかった。
僕が独立して事業を立ち上げたばかりの、不安と期待がないまぜになった日々。
徹夜でパソコンに向かう僕の膝の上で喉を鳴らし、まるで「大丈夫、アンタならできるさ」とでも言うように、静かに寄り添ってくれた。
不思議なことに、カルビが我が家に来てから、僕の仕事は面白いように軌道に乗り始めた。だから僕は、奥さんにも友人にも「カルビは俺に成功を運んできてくれた、幸運の猫なんだ」と、本気で話していた。
冗談めかしてはいたが、心の底からそう信じていた。
苦しい時も、嬉しい時も、この小さな相棒はいつも僕の傍にいた。まさに苦楽を共にした戦友だった。
しかし、永遠に続く時間はない。
20年という歳月は、人間にとっては成熟の過程であっても、猫にとっては老いの重みそのものだ。
あれほど軽やかだったジャンプは影を潜め、艶やかだった毛並みは少しずつ白っぽく、輝きを失っていった。
大好きだったカリカリのフードも、やがて口にしなくなった。
「今日も、あまり食べてないみたい…」
奥さんが心配そうに呟く。
僕たちは、老衰という名の、抗いようのない現実を静かに受け入れ始めていた。
近所の動物病院へ通うのが日課になった。
カルビの小さな体に点滴の針が刺さるのを見るのは、胸が締め付けられるように辛かった。それでも、点滴を終えて少しだけ目に力が戻るカルビを見ると、僕たちは安堵のため息をつく。
「まだ大丈夫、まだ一緒にいられる」と、互いに言い聞かせるように。
獣医は言った。
「あとは、この子がどれだけ穏やかに過ごせるかです」。
その言葉は、残酷な宣告のようでもあり、優しい励ましのようにも聞こえた。
僕たちは、来るべき日を覚悟しながらも、一日でも長く、一時間でも長く、この温もりがそばにあることを願い続けた。
カルビの目は、もうほとんど見えていないようだった。
それでも、僕が部屋に入ると、僕の足音を聞きつけて、力の無い声で「にゃあ」と鳴いた。その声を聞くたびに、愛しさと切なさが胸いっぱいに広がる。
僕がカルビの頭を撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らす。その振動が僕の手に伝わるたびに、「ああ、まだこいつは生きている。僕の相棒は、ここにいる」と実感できた。
その穏やかで、しかしガラス細工のように脆い日々は、僕にとって何物にも代えがたい宝物だった。
だが、運命の日は、まるで何事もなかったかのように、静かに、そして確実に近づいてきていた。
運命の6月23日

6月23日、土曜日。その日の空気は、いつもと何も変わらなかった。
朝、僕は奥さんに代わってカルビを病院へ連れて行った。
腕に抱いたカルビの体は、驚くほど軽くなっていた。
点滴を受ける間、カルビは僕の膝の上でじっと耐えていた。
その姿を見て、僕はまだ希望を捨てきれずにいた。
(もちろん元気じゃない。でも、今すぐどうこうなる感じじゃない。まだ、大丈夫だ…)
そう思いたかった。
いや、僕がいなくなったら困るから、そう思い込んでいただけなのかもしれない。
僕の勝手な願望だった。
その日の夜、僕には予定があった。
吉祥寺で開かれる、高校時代のハンドボール部のOB・OG会。何年も会っていない恩師や先輩、後輩たちと顔を合わせる、久しぶりの大きな集まりだった。
夕方、家を出る前にカルビの様子を見に行った。
ベッドの上で丸くなっているカルビの頭をそっと撫でる。
「いい子にしてろよ。すぐ帰ってくるからな」。
カルビは小さく鳴いた。その声を聞いて、僕は自分に言い聞かせた。
(まだ兆候はない。あと1週間くらいは、きっと大丈夫だろう)
後ろ髪を引かれる思いを振り切り、僕は吉祥寺へ向かった。
駅前の喧騒、懐かしい顔ぶれとの再会、酒を酌み交わしながら語り合う昔話。
時間はあっという間に過ぎていく。
楽しかった。本当に楽しかった。
だが、心の片隅には、常にあの小さな温もりの存在があった。
グラスを傾けながら、ふと家のベッドで眠るカルビの姿が脳裏をよぎる。
「二次会、行こうぜ!」
後輩が肩を組んでくる。
賑やかな声が飛び交う中、僕は「ごめん、今日は帰るわ」と断った。
理由はうまく言えなかったが、早く帰らなければいけない、という強い衝動に駆られていた。
「なんだよ、付き合い悪いなー」
「悪い、また今度な」
仲間たちの声を背に、僕は一人、帰路についた。電車の窓に映る自分の顔は、どこか強張っていた。
自宅のドアを開け、真っ先にカルビの元へ向かう。
「カルビ、ただいま」。声をかけると、ベッドの中からか細い声が聞こえた。
「ニャ…」。
僕の帰りを待っていたかのように。
僕が帰ってきたことが分かったのだろうか。
その小さな反応に、僕は心の底から安堵した。
(ああ、よかった。大丈夫だ)
勝手にそう思い込み、僕はひとまず自室に戻って普段着に着替え、トイレに入った。
その、ほんの数分の間のことだった。
「パパァーーーッ!」
居間から、奥さんの悲鳴にも似た、切羽詰まった声が響いた。
僕はトイレから飛び出し、何が起こったのか分からないまま居間へ駆け込んだ。
そこにいたのは、変わり果てた姿のカルビだった。
ぐったりと横たわり、自分の汚物で体を汚してしまっている。
そして、その目は、僕のことだけをじっと見ていた。
僕が帰ってくるのを、この最後の瞬間まで、待っていてくれたのか。
言葉を失い、カルビのそばに膝をついた。
震える手で、その小さな前足を握る。
「カルビ…大丈夫だよな…?まだ、大丈夫だよな!」
僕の声は、震えていた。
何を言っているのか、自分でも分からなかった。
ただ、そう信じたかった。
僕の手の温もりが伝わったのか、カルビは、僕の目を見つめたまま、ゆっくりと、本当に安心したように、その瞼を閉じた。
それが、最期だった。
もう二度と、その目が開くことはなかった。
奥さんと子供が、そばで声を殺して泣いている。
僕は、大の男が、父親が、子供の前で泣き崩れる姿を見せるわけにはいかないと、奥歯を食いしばって必死に涙をこらえた。
こみ上げてくる嗚咽を、喉の奥で押し殺した。
バスタオルで優しくカルビを包み、自室へと運んだ。
ドアを閉めた瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「お前…午前中は、そんな素振り、見せなかったじゃないか…」
声にならない声で、何度も何度も呟いた。
「辛かったのに…苦しかったのに…なんで、俺の帰りを待ってたんだよ…馬鹿野郎…」
後悔と感謝と、どうしようもない悲しみがごちゃ混ぜになって、僕の心を掻きむしる。
出会いがあれば別れがあることなんて、頭では分かっていた。
もう長くないことも、覚悟していたはずだった。
それなのに、この喪失感はなんだ。
まるで、体の一部をごっそりと抉り取られたようだ。
両親を除けば、人生で一番長く、濃密な時間を共にした存在。
それはペットという言葉では到底足りない。
相棒。戦友。僕の半身。
その夜、僕は部屋で一人、声を殺して泣き続けた。
気が付くと、窓の外は白み始めていた。
火葬前夜の、奇妙な夢

カルビが旅立ってから、世界は色を失ったようだった。
家の中は不自然なほど静まり返り、いつもカルビがいた場所に目をやるたび、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚に襲われた。
これがいわゆる「ペットロス」というものか。
いや、僕の場合は「カルビロス」だ。
他の何にも代えがたい、特別な喪失感だった。
我が家では、亡くなったペットはいつも中野区の哲学堂にあるペット霊園で火葬してもらうことにしていた。
翌日、霊園に電話をすると、その日はすでに予約でいっぱいだという。
僕の仕事の都合も合わせ、火葬は三日後に決まった。
それまでの間、カルビの亡骸は僕の部屋に安置することにした。
冷たくなってしまった体を、生前使っていたベッドに寝かせ、いつでも見える場所に置いた。
添い寝とはいかないが、夜、目を閉じれば、すぐそこにカルビの気配を感じられるような気がした。
一日が過ぎ、二日が過ぎた。
僕はカルビの亡骸に話しかけ続けた。
「お前がいなくて、寂しいよ」「ありがとうな、カルビ」。
返事はない。
ただ、静かな時間が流れるだけだった。
そして、明日が火葬という夜がやってきた。
その日も僕は、悲しみに沈んだままベッドに入った。
いつの間にか眠りに落ちていたらしい。
僕は、夢を見ていた。
夢の中、僕は自室にいた。
そして、ベッドに寝かせていたはずのカルビが、むくっと、まるで人間のように上半身を起こしたのだ。
僕は驚いて目を見開いた。
カルビは、そのまま二本の後ろ足でスッと立ち上がると、両方の前足を大きく広げ、僕の方へ向かってゆっくりと歩いてきた。
その姿は、まるで久しぶりに再会した恋人が、抱擁を求めて歩み寄ってくるかのようだった。
しかし、僕の頭をよぎったのは、ロマンチックな感情ではなかった。
(死んだはずのカルビが動いている…これは、ゾンビだ…)
夢の中の僕は、妙に冷静だった。
ホラー映画のワンシーンのように、その光景を分析していた。
(ゾンビに噛まれたら、俺もゾンビになってしまうんじゃないか…?)
恐怖が背筋を駆け上った。
しかし、次の瞬間、僕の心を満たしたのは、恐怖とはまったく質の違う、温かい感情だった。
(でも…もしカルビに噛まれるなら、それも本望かもしれない…)
20年間、僕を支え、癒し続けてくれたこの相棒になら、たとえゾンビにされても構わない。
心の底から、そう思った。
僕がそんな覚悟を決めた瞬間、二本足で歩いてきたカルビは、僕の胸に「ドン!」と、力強く飛び込んできた。
それは、まるで人間がするような、力いっぱいのハグだった。
温かくて、少しだけ重い、確かな感触。
その衝撃で、僕は夢から覚めた。
心臓が早鐘のように鳴っている。
額にはじっとりと汗が滲んでいた。
部屋は静まり返り、窓の外はまだ暗い。ベッドのそばに目をやると、カルビは、僕が寝かせた時のまま、静かに横たわっていた。
あれは、一体何だったのだろうか。
あまりにも鮮明で、リアルな夢だった。
抱きしめられた時の感触が、まだ胸に残っているようだった。
僕個人の解釈としては、カルビが「火葬になんてしないでくれよ」と、最後の抵抗をしにきたのではないか、と思えた。
体は滅んでも、まだ僕のそばにいたいという、彼の魂の叫びだったのではないかと。
後日、この夢の話を友人にすると、彼は全く違う解釈をした。
「それは違うよ。きっと、『今まで20年間、面倒を見てくれてありがとう』って、最後の挨拶をしに来たんだよ。お前に感謝を伝えたかったんだ」
友人の言葉は、僕の心を優しく撫でるようだった。
訴えだったのか、感謝だったのか。真実はカルビにしか分からない。
だが、どちらの解釈だったとしても、あの夢が、僕とカルビの20年間の絆が生んだ、特別な奇跡だったことだけは確かだった。
恐怖を乗り越えさせた、僕の深い愛情の証であり、カルビが僕にくれた、最後の贈り物だったのだと、そう思うことにした。
永遠の相棒へ

火葬の日、僕は哲学堂の霊園で、小さな骨になったカルビと対面した。
あんなに温かかった体が、こんなにも小さくなってしまうのかと、再び涙が溢れた。
僕は、火葬の際に特別にお願いして、カルビの遺髪と、ピンと張っていた自慢のヒゲを数本、小さな桐の箱に入れてもらった。
家に帰り、奥さんにその箱を渡して、真剣な顔で頼んだ。
「俺が死んで、火葬する時が来たら、これを棺桶に一緒に入れて燃やしてくれ」
奥さんは驚いた顔をしたが、僕の目を見て、静かに頷いてくれた。
彼女がその約束を覚えていてくれるかは、僕がこの世にいないのだから確かめようがない。でも、それでいい。
あの世で、僕はきっとカルビを探すだろう。
そして、僕の骨と共に燃えたカルビのヒゲが、再会のための道しるべになってくれるはずだ。
そう思うだけで、少しだけ心が軽くなった。
あの日から、何年もの月日が流れた。
我が家には、新しい猫たちがやってきて、賑やかな日常が戻ってきた。
どの子も皆、個性的で、たまらなく可愛い。
僕は、それぞれに深い愛情を注いでいる。
しかし、正直に言えば、カルビと同じように接している猫は一匹もいない。
あいつは、別格だった。
僕にとって、カルビは単なる「可愛いペット」という存在を遥かに超えていた。
人生の半分を共に歩んだ、唯一無二の相棒。時には僕を導き、時には僕を慰め、ただひたすらに僕を信じてくれた存在。
ふとした瞬間に、今でも強烈な「カルビロス」に襲われることがある。
ソファの定位置に彼の姿を探してしまったり、無意識に「カルビ」と呼びかけてしまったり。
そのたびに、胸がキュッと締め付けられる。
生まれ変わりのような猫と、死ぬまでにもう一度巡り会えたらと願うが、きっと無理な相談だろう。
あんな相棒は、世界に二匹といないのだから。
あの火葬前夜に見た、奇妙で、温かい夢。
あれは、カルビからの最後のメッセージだったのだと、今ならはっきりと分かる。
ゾンビなんかじゃなかった。
あれは、20年分の「ありがとう」と、「さよなら」を伝えに来てくれた、力強いハグだったのだ。
言葉を持たない彼が、僕に分かる唯一の方法で、最後の愛情表現をしてくれたのだ。
今日は6月23日。カルビの命日だ。
僕は帰り道、少しだけ奮発して、高級な猫缶を買った。
仏壇に供え、静かに手を合わせる。
「カルビ、元気にやってるか。こっちはまあまあだ。新しい奴らも可愛いけど、やっぱりお前が一番だよ」
煙草の煙のように頼りない僕の独り言は、きっとあいつのいる場所まで届いているだろう。
「いつかそっちに行ったら、また一緒に暮らそうな。今度は、もっともっと長い時間だ。それまで、待っててくれよな、相棒」
あの世なんてものが本当にあるのかは分からない。
でも、僕は信じている。
僕の人生の物語の最終章には、必ずカルビとの再会が待っていることを。そして、今度こそ、夢の中ではなく、現実で、力いっぱい抱きしめ合うのだ。
永遠の別れが、二度と僕たちを引き裂くことのない世界で。








