いつものように、コーヒー片手にスマホでニュースをチェックしていた時のことだ。
私の指は無意識に「筋トレ」「健康」「アンチエイジング」といったキーワードを追っている。
これはもう、長年の習性と言っていい。
だが、その日はふと、いつもとは毛色の違う見出しに指が止まった。

……ん? スクワットでもなく、有酸素運動でもなく、「人助け」だと?
記事のソースはナゾロジー。
タイトルにはこうある。
「ただの道徳的な話ではありません。科学的な事実です」とでも言いたげな響きだ。
記事によれば、誰かのために行動することは、脳の認知機能を維持し、老化を食い止める効果があるという。
正直に言おう。
私の第一印象は、「本当かな〜?」という疑いと、「参ったな」という居心地の悪さだった。
なぜなら、私は胸を張って「人助けが趣味です!」と言えるようなできた人間ではないからだ(笑)。
自分の健康のためにジムに行き、自分の楽しみのためにバスケを主催し、健康に良い物を食べる。
基本的には自分のことばかり考えて生きている、ごく普通の還暦おやじだ。
「あんまり人助けなんてやってないよな……」
苦笑いしながらも、私のガジェットオタクとしての血が騒いだ。
「いい話」で終わらせていいのか?
本当に科学的なエビデンスはあるのか?
私はいつものように、ニュースチェック専用にカスタマイズしたAI、我が相棒「フェニックス・ライジング」を呼び出し、ファクトチェックを命じた。
「おい、フェニックス。この記事、本当か? 道徳の教科書みたいな話だが、裏付けはあるのか?」

AIが弾き出した「動かぬ証拠」
数秒後、画面に表示されたレポートを見て、私は唸ることになった。
AIが提示した検証結果は、予想以上に「ガチ」だったからだ。
判定:正確 (Accurate) 信頼度スコア:S (確定情報)
一次情報源は、テキサス大学オースティン校(UT Austin)の研究チームが発表した論文『Social Science & Medicine』。
対象は50歳以上の米国人、なんと3万人以上。
しかも約20年間にわたる追跡調査だという。
これだけの規模のデータがあれば、ぐうの音も出ない。
AIのレポートには、さらに興味深い詳細が記されていた。
「ここが重要です。この研究の画期的な点は、『組織的なボランティア』だけでなく、『非公式な人助け』にも効果があると証明した点です」
非公式な人助け? 読み進めると、こうある。
「近所の人を車で送ってあげる」
「友人の悩み相談に乗る」
「荷物を持ってあげる」
そんな、日常の些細な親切行動であっても、脳の老化を15〜20%も遅らせる効果が確認されたというのだ。
15〜20%の遅延効果。
これは凄い数字だ。
高いサプリメントを飲んでも、ここまでの数値はなかなか叩き出せないだろう。
脳の萎縮や認知機能の低下は、シニア世代にとって「身体の衰え」以上に恐怖の対象だ。
それが、ちょっとしたお節介で防げるかもしれないなんて。
動機の不純さと、60代のリアル
ここでふと、我に返る。
「そうか、人助けすれば脳が若返るのか! よし、じゃあ今日から善人になろう!」
……と、素直に思えればいいのだが、そうはいかないのが私の捻くれたところだ(笑)。
「脳の老化を防ぎたいから、人に親切にする」
これって、動機としてどうなんだ?
結局、「自分のため」じゃないか。
人に感謝されたいとか、社会の役に立ちたいという崇高な精神ではなく、「ボケたくない」という極めて利己的な理由で人助けをする。
なんだか、すごく計算高くて、情けないような気がしてしまう。
「もう60だし、そろそろ人の役に立たないとダメだよな……」
そんな殊勝なことも思う反面、「トレーニングと違って、『よし、やってやろう!』と燃えてこない」自分もいる。
ベンチプレスなら「あと5kg!」と目標を立てられるが、人助けに「あと5人!」とノルマを課すのは、なんだか違う気がするのだ。
それに、私は「保護猫活動」に関わったりもしているが、あれは「人のため」というより「猫のため」だ。
猫は可愛いし、守ってやりたいと思う。

でも、それは今回の「対人コミュニケーションによる脳への効果」に含まれるのだろうか?
AIのレポートによれば、人助けが脳に良い理由は、「社会的つながり」や「感謝の報酬」がストレスホルモンを抑制するからだという。
猫に感謝されているかどうかは定かではないが(ご飯の時だけスリスリしてくるが)、少なくとも「人間社会の複雑なストレス」を緩和する効果とは少し違うベクトルかもしれない。
「週2〜4時間」の黄金律

私の葛藤をよそに、AIのレポートはさらに具体的な「処方箋」を提示してきた。
研究データが導き出した、脳に最も良い人助けの頻度。 それは、「週に2〜4時間(年間100時間以上)」だという。
これ以上やっても効果が劇的に上がるわけではなく、逆に負担になってストレスが増える可能性があるらしい。
「無理のない範囲での継続」がカギ。
なるほど、これなら私のような「エセ善人」でも手が届きそうだ。
週に2時間。1日にならせば、20分弱。
大掛かりなボランティア活動に参加して、緑色のビブスを着て街頭に立つ必要はない。
日々の生活の中で、ちょっと誰かの荷物を持ったり、愚痴を聞いたり、エレベーターの「開」ボタンを押して待ってあげたり。
その積み重ねが、脳内の炎症を抑え、神経細胞を守るバリアになる。
そう考えると、少し肩の荷が下りる気がした。
振り返れば、そこにある「バスケ」
ここでハッとしたことがある。
私が運営しているこの「本町BBC」。
毎週体育館を確保し、入館手続きを行い、メンバーへの連絡を回したりする。
次回も参加してくれるように声をかけ、怪我人が出ないように気を配る。
これって、もしかして……「人助け」に入らないか?
いや、基本的には「自分がバスケをしたいから」やっていることだ。
場所がないと自分が困るから、自分で場所を取っているだけだ。
だが、結果として30人近いメンバーが汗を流し、「楽しかった」「ありがとう」と言って帰っていく。
もし、この活動が「非公式な人助け」の範疇に含まれるのだとしたら。
私は知らず知らずのうちに、毎週2時間以上の「脳トレ」を実践していたことになる。
「自分のため」にやっていたことが、結果的に「人のため」になり、それが巡り巡ってまた「自分の脳のため」になる。
なんだ、それでいいじゃないか。
動機が不純だろうが、始まりが自己中心的だろうが、結果として誰かが笑顔になり、私の脳みそが元気でいられるなら、これぞまさに「一石二鳥」だ。
結論:偽善でもいいから、やってみよう

AIのファクトチェックを経て、私の考えは少し変わった。
「立派な人になろう」と意気込む必要はない。
「脳の老化防止」という、下心丸出しの理由でも構わない。
それをきっかけに、誰かに手を差し伸べる回数が増えるなら、世界はほんの少しだけ優しくなるし、私の海馬もほんの少しだけ長生きする。
テキサス大学の研究チームは言っている。 「公式なボランティアである必要はない。個人的な親切でいいのだ」と。
これからは、近所の人に会ったら意識して挨拶してみよう。
重そうな荷物を持っている人がいたら、声をかけてみよう。
友人が悩んでいたら、面倒くさがらずに話を聞いてみよう。
そして、毎週のバスケの運営も、「これも最強の脳トレだ」と思いながら、もう少しだけ丁寧にやってみようと思う(笑)。
トレーニングのように「筋肉痛」という分かりやすい成果は出ないかもしれない。
でも、10年後、20年後に、「あれ? 還暦過ぎても全然ボケてないね」と言われたら、心の中でガッツポーズをすることにする。
さて、今夜は練習日だ。
いつもより少し早く行って、モップ掛けでもしておくとしようか。
これもまた、私の脳細胞のための「先行投資」だと思えば、悪くない。







