KISSIN' TIME '85
どうして今も、こんなにキッスが気になるのか!?
キッスというバンドに対する支持の高さには、本当にいつも驚かされるばかりだ。かつて見られた、現実離れしたような爆発力こそ失われているものの、彼らの人気は絶対にある一定のラインを下回ることがないのだ。
レコード・セールスの面などでは、衰えているどころか、むしろ一時期よりもずっといい成績をおさめているし、編集部に寄せられるハガキの山の中にも”KISS”のアルファベット4文字は相変わらずよく目立つ。しかも、そういったキッスを求める声が全然減らないから、なおスゴいのだ。
もう、殆ど呆れてしまうくらいスゴいパワーだ。送られてくるハガキを見ると、キッス・ファンの年齢層は実に幅広く、文面で判断する限りはバンドに対しての思い入れの種類もさまざまだ。”昔からポールにゾッコンです”とか、”キッス以外にHRは考えられません!””久々のポールの表紙に涙・・・”という、実体験派の古株さん達もいれば、”初めてキッスを聞きました””こんなにスゴいバンドがいたなんて・・・”みたいな、キッス・アーミー新入生諸君のカワイイ声も届いたりする。

'83年秋に発表された「LICK IT UP」で初めてその素顔を公表して以来、彼らは”第2期黄金時代”とでもいうべき時期に突入し、今なお上り坂の状況にある。そして、今でもティーン・エイジャーの好奇心を刺激し、”気になるバンド”であり続けている。何よりもスゴいのは、昔から\のファンをガッチリと掴んだまま手離さず、しかも常に新しい世代の
ファン層を開拓している事実だ。
では、なぜキッスの音楽と彼らの存在はいつの時代においてもロック・ファンに訴えかけるのか?どうして今も支持され続けるのか?10月号の「今、なぜエアロスミスなのか?」の中で僕は、エアロスミスをロックン・ロールさせ、キッズをエアロスミスさせているのは”不良のロック”のパワーだと書いたが、さて、キッスにとっての不老長寿の秘薬は一体何なのか?今度は”今なぜ・・・”ではなく、”今だから”という理由でキッスについてもう1度よく考え、整理し、
彼らがどんな役割を果たしたのか、現在どんな位置にいるのか・・・などを考えてみたい。
今更考えなくても、もうわかりきっていることなのかも知れないが、とりあえずあと4ページ、一緒にいてください。
これから先、キッスと長い付き合いになりそうな人達のために、少しでもお役に立てれば幸いです。
ライヴこそがキッスの命
ジーン・シモンズ(B:'49年8月25日生まれ)、ポール・スタンレー(G:'52年1月20日生まれ)、エース・フューレー(G:'51年4月27日生まれ)、ピーター・クリス(DS:'47年12月20日生まれ)・・・。NY出身の4人の若者によりグループが結成されたのは'72年のこと。'70年にキッスの前身ともいえるバンドでポールとジーンが出逢ったのがそもそも歴史の始まりで、後に「ROLLING
STONE」誌に広告を出していたピーターと接触し、最後にオーデションによりエースを獲得・・・。キッスとしての正式なスタート地点はここだった。
そして、翌'73年1月には早くもライヴ活動を開始し、8月にはビル・オーコインのマネージメントと契約。10月からはデビュー・アルバムのレコーディングに取りかかっていた。もちろんマネージメントやレコード会社との契約を交わすきっかけとなったのは、彼らのライヴ、その奇抜なショウだった。
エコノミー・クラスではあったかも知れないが、当然キッスはその頃からあのステージ(の基本となるもの)を観せていたわけで、顔にはあのメイクが施されていた。とにかく当時からキッスは”ショウ・アップする”ことに強力に執着していた。
「ステージはミュージシャンにとって、とても大切な場所なんだ。限られた人しかそこで演奏することはできないし、ステージにあがったらなら、もうその人は特別な人間なんだよ。その特別の人間を観るために、16〜17歳位のファンが1週間せっせとお金を貯めて、6〜7ドル握りしめるようにしてコンサートにやって来ても、うす汚れたTシャツなんか見せられちゃ、ガッカリすることになるだろう・・・・?」
「MUSIC LIFE」の'75年10月号に掲載された、キッスの本邦初公開インタビューの中でのジーンの言葉だ。確かに彼の意見にはうなずけるし、安いとはいえないお金を払ってわざわざ観に出かけるファンのことを考えれば、それが常識なのだともとれる。最近ではレイヴンなども近い内容の発言をしている。これとは逆に、”我々はあくまでもミュージシャンなのだから、音楽そのものさえ良ければいいのだ。格好など関係ない!”という考え方をするミュージシャンも多いわけで(当時は西海岸系や南部のバンドなどがその代表だった)、それもまた否定できない。
結局は”バンドによって特性もファンから求められるものも違う”のだから双方の考え方があっていいのだが、少なくともキッスのステージに対する考え方は、ジーンのこの発言に集約された、かなり徹底した方針を持ったものだといえるだろう。
ついついエアロスミスと比較してしまうのは僕の悪いクセかもしれないが、同じシンプルなロックン・ロールというものを基本にしていながらも、両者のステージにはかなり大きな差があった。エアロスミスのノリは、むしろ自己陶酔にも近く、妖しく、悩ましく酔いしれるステージ上の野獣を観ながら、ファンもまたそれに酔った。
ところが、キッスの場合は”エンターティメントの押し売り”とはいわないまでも、しつこい程にこれでもか、これでもか・・・と、目や耳に訴える要素をぶつけてきた。
エアロスミスが、基本的にはクラブ・バンドの味わいを持ってきたのに対し、キッスは最初から大ホール型のバンドであり、常に5ケタの観衆を相手にできるコンサートを追及していた・・・というのも大きな違いだ。メイクされた顔、信じられないようなコスチュームに大規模なステージ・セット。火を吹き、血を吐くジーン・・・。彼ら4人は、才能あふれる
ミュージシャンであると同時に、優れたエンターティナーであり、本当の意味でのスターだった。
だからキッスの人気はライヴに頼っている部分が大きかったし、実際、初めての本格的な大ヒットになったレコードは、2枚組のライブ・アルバム「ALIVE!」であり、そこからシングル・カットされた”ROCK
AND ROLL ALL NITE”だった。彼らのステージについて”1度観たら、もう用はない”と言った言い方をする人もいたが、そんな声をよそにキッスのツアー動員力は着実に向上したし、”いつも同じコンサート”のはずなのに、ファンは何回でも観られるだけ観た。
キッスの展開するロック・ショウもまた”不良のロック”と同様にキッズを中毒患者化してしまうのだ。キッスが1回のステージでやっていた要素すべてを再現しているバンド、あるいはそれ同等のものを観せているバンドはいないが、
殆どのHMバンドが(海外のコンサートでは)火柱や花火を使っているし、”2階建てのステージ”もちっとも珍しいものではなくなってきた。
W.A.S.P.やリジー・ボーデンの血なまぐさい演出は、ジーン・シモンズからの流れだともいえるし(もちろんキッスに残忍さはなかった)、ジューダス・プリーストのステージに使われている「メタリオン」や大量の照明を使うトライアンフのステージは、かなりキッス的だといえる。そう、どれもみんな、お手本はキッスなのだ。
彼らのライヴに対する基本的な考え方は、グループとしての存在理由にもつながるわけで、決して変わることがない。メンバーが変わり、素顔になった現在でもそれは同じことだ。そして今でも彼らのライヴ・パフォーマンスは、後続のバンド達に影響を与えている。ジョン・ボン・ジョビのステージ・アクションが、今のポール・スタンレーを意識したものだということに気付いた人も少なくないだろう。
少なくとも、彼らをサポートした経験のあるバンドは、何らかの形でキッスから学んでいるはずだ。
もちろん、キッスの後があるように、前もあったわけで、アリス・クーパーのようなアーティストも活躍していた。最近の若いバンド達の起源がキッスであったとしても、キッスにだってルーツはあったのだ。やはり'75年の10月号に「ML」で、ポールは次のように語っている。
「誰も、完全にオリジナルになることはできない。何をやるにしても、その原形となるものがあるはずなんだ。ビートルズの前にはチャック・ペリーがあったし、チャック・ペリーの前にだって誰かがいたのさ・・・」
モトリー・クルーやラットの前にはキッスやエアロスミスがいた。その前にはレッド・ツェッペリンもいれば、ビートルズもローリング・ストーンズも、ビーチボーイズもいた・・・。そういうことなのだ。
アタマの良さも天下一品
顔にメイクを施していたとはいっても、キッスの場合は、別に女性的な化粧をしていたわけではなく、あくまでもコミカルで、彼ら一人ひとりのキャラクターを強調し、定着させることを目的としていた。そして、それはまんまと成功したわけだ。ただでさえ個性的な(!?)な4人が、更に自己アピールを強めているのだから、これは強烈だ!ポールは赤い唇と胸毛がセクシーな、正義感の強いハンサム・ガイ。ジーンと言えば怪獣ブーツ。かれは天才と狂人の中間のような悪魔的紳士。ピーターはひょうきんなネズミ男。4人の中にあって、1人ほのぼのとしている人。エースはひょっとしたら宇宙人かも・・・。とにかく彼は不思議な人・・・。
誰もが勝手に4人のキャラクターを解釈していた。しかも彼らは、オフの時でもメークしたままという徹底ぶりだったし、イメージをしっかりと守り、24時間キッスであり続けたから、例えば”ポールを愛しています”というファンでも、生身の人間としてのポールではなく、それこそ”私の星の王子サマ”として愛していただろうと思う。音楽性よりもイメージが先ばしるHMバンドが多すぎるといわれる今日この頃だが、良くも悪くも、そのお手本となったのがキッスだった。
しかも、商才にたけていた彼らは「KISS ARMY」と名付けられた大規模なファン・クラブを早くから運営し、ファンとのコミュニケーションを、彼らの物欲をくすぐるながらとった。マーチャンダイズ商品にも積極的だったし、ファンはキッスのキャラクター商品を持つことで、”特別意識”みたいなものを持った。
考えてみれば、レコードがヒットするよりも前に、キッスのロゴ入りTシャツを着ている人間がウジャウジャ歩いてたりしたなら、これ程効果的なプロモーションは他にない。彼らは”ファン”というサイコーの宣伝素材を、巧みに、有効に利用したわけだ。
'77年には”赤い部分は、メンバーの血が混ざったインクで印刷されています”というオビたたきとともに(!?)、彼らを主人公とした「KISS
COMIC」が刊行された。この頃から”お子様向けバンド”的な見方をされる傾向も強まったわけだが、そういいながらも自宅でコッソリとキッスのレコードを聴いていた”かくれキッス・ファン”は数多くいたし、個人的にも大勢そういったファンを見てきた。
まあ、大人や大人になりかけの子供が何をいおうと、子供達には関係なかったし、そういった視線を浴びせられるのは、”子供にもウケるバンド”にとっては宿命のようなものなのだ。子供達は、夢中になってキッスの商品を集めた。それは、ウルトラマンの怪獣や、仮面ライダーのカード、スーパーカーのオモチャを集めるのと大して違わない次元のものだったかも知れない。そんな子供達にとっては、レコードもキャラクター商品の1つにしかすぎなかったかも知れない。
でも、キッスのレコードは、そう片付けてしまうには、あまりにも素晴らしすぎる作品ばかりなのだ。
あくまでも音楽が第一!
商売が上手くても、見た目が面白くても、やはり音楽をやっている以上、メインは音楽でなければならないし、それがキチンと認められなければ成功も長続きしない。ポールが本誌10月号のインタビューでも語っているように”中味のないバンドがメイクしたってダメ”なのだ。
曲に魅力がなく、演奏も歌も水準以下のバンドが、視覚的な面だけではキッスと同じだけの要素を持っていたとしても、それは”見苦しい”だけだ。曲が、音楽がヴィジュアルに負けてしまうのではハナシにならない!”外見は嫌いだけど、キッスのレコードは大好きだし、認める”といったファンも実際多かったし、そんな言い方をするミュージシャンもたくさんいる。
キッスは、時によってはディスコ音楽にも色気を見せたこともあるし、今となっては”汚点”といわれている(ゴメンナサイ!)「THE
ELDER」のようなコンセプト・アルバムも発表した。
でも、基本はいつもストレート&シンプルなロックン・ロールだったし、どの作品もクオリティが高かった。初期の作品など、さすがに音はうすっぺらいし、やたらと軽いが”曲”を評価したなら今でも85点以上がつけられるアルバムばかりだ。しかも、彼らの初期の名曲には、未だに生命があるのだ。
最近のコンサートでも”BLACK DIAMOND”や”COLD GIN"は新しいマテリアルと並べて演奏されているし、そういった古いチューンが”LICK
IT UP”や”HEAVEN'S ON FIRE”といった今のキッスを代表するヒット・チューンに勝るとも劣らないリアクションを得ている。
他の部分に手がこんでいる分だけ(?)、キッスの曲には、全く凝ったところなどない。でも、そのシンプルなロックン・ロールは、いつ誰が聴いても”カッコいい”と感じるだけのものを持っているのだ。
以上、大きく3つに分けてキッスの魅力を考えてきたが、それにしても恐ろしいのは、今まで書いてきたようなことを、キッスはすべて”余裕を持って”こなしているという事実だ。いや、実際はせっぱつまった状態にあるのかも知れない(!?)が、それを全く感じさせないのだ。「ASYLUM」のようなアルバムを、汗もかかずに作っているのではないか・・・とおもわせるところがスゴいのだ。
今のロック界の中では、彼らはHMのワクの中にいるが、彼らにとって”ヘヴィ・メタルする”ことはいとも簡単な、朝メシ前のことなのだという気がする。「ANIMALIZE」も「ASYLUM」も余裕と貫禄で作られたようなアルバムだし、これらのアルバムに、彼らはまだ本領を発揮していないのではないか・・・とも思われる。
彼らは、現在のHM界において、ジューダス・プリーストやディオのような”HM界の重鎮”のような役割を果たしていると同時に、モトリー・クルーや、ラット、ボン・ジョヴィのような若手バンド達と同じフィールドにも顔を出している。未だにアイドル的要素も失っていなければ、ミュージシャンとしてもやはり一流として認められている。
ピーターが辞め、エースが去った時には、確かに”キャラクター”としての魅力が少々弱まったが、それで”キッスは終わった”とされてはたまらない。ギターを弾くのがブルース・キューリックで”BLACK
DIAMOND”を歌い、ドラムスを叩くのがエリック・カーであっても、キッスはキッス、'73年と同じ基本にもとづいたバンドなのだ。
彼らが現在おかれている、”実に微妙で不思議な立場”に立てるバンドはキッスしかいないし、キッスはいつもここにいなければならない。誰もがキッスを真似するとしても、キッスは真似されるバンドであり続け、いつでもお手本であらねばならない・・・。彼らにはそんな宿命があるのだ。
「ASYLUM」では、そのバンドとしての原点んい戻ったというキッス。やはり1985年は1975年なのか・・・?だとしたら次にキッスはどこへ行こうとしているのか?これ以上にまだ”成長”しようというのか・・・・?
キッスのとてつもないスゴさには、もう敬服するばかりだ・・・。
3年後も、5年後も、僕は同じことを言っているに違いない。
”だからキッスはスゴいんだ!”と・・・。
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