![]() ●4月、ジーン・シモンズとポール・スタンレーがそれまで在籍していたWICKD LESSTERを脱退し、新バンド結成に向けて動き出す。「ローリング・ストーン」誌、「ヴィレッジ・ヴォイス」紙に載せた募集告知により、ピーター・クリスとエース・フレーリーがそれぞれ加入し、KISS誕生。 ●1月28日、NYはクィーンズの「コヴェントリー・クラブ」にてKISSとして初めてのギグが行われる。 ●6月、エディ・クレイマーをプロデューサーに迎えデモ・テープをレコーディング。 ●8月、NYのホテル「ディプロマット」でのショーを観ていたTVプロデューサー、ビル・オーコインがマネージメント契約を申し出る。その直後、オーコインを通じてニール・ボガードが設立した「CASABLANCA」レコードとの契約も成立。同レーベルの所属アーティスト第一弾となる。契約金は1万ドルだった。ちなみにボガードは1982年に39歳の若さで急死。 ●9月、ビル・オーコインがマネージメント会社「ロック・ステディ」を設立 ●10月、NYの「ベル・サウンド」スタジオでデビュー・アルバムの製作を開始。年末までにトラック・ダウンを完了。 ●12月31日、NYの「アカデミー・オブ・ミュージック」でのニュー・イヤーズ・イヴ・コンサート(BULE OYSTER CULT)にオープニング・アクトとして出演。 [1974年] ●2月8日、第1作「KISS」発表。翌3月、"NOTHING TO LOSE"をシングル・カット。 ●3月、全米ツアーを開始。約40分の持ち時間だった。 ●4月、シングル"KISSIN'TIME"をレコーディング。翌5月、この曲を「KISS」に追加収録し再リリース。 ●6月2日、公演先のジヨージア州アトランタにて、あまりの過密スケジュールのためポールが倒れる。ツアー自体はその後、8月まで続行。 ●9月、LAの「ヴィレッジ・レコーダー」にて2NDアルバムのレコーディングを開始。プロデューサーには第1作同様ケニー・カーナーとリッチー・ワイズを起用。 ●10月22日、2NDアルバム「HOTTER THAN HELL」を発表。その後、再び全米ツアー。 ●2月、バンド自身とニール・ボガートのプロデュースにより3RDアルバムのレコーディングを開始。 ●3月19日「DRESSED TO KILL」を発表。第1弾シングルは"ROCK AND ROLL ALL
NITE"。その後、全米ツアーを開始。 ●5月16、17日のデトロイト「コボ・ホール」での公演の模様をエディ・クレイマーの手によりライブ・レコーディング。ちなみにチケットは2日間ともソールド・アウトだった。 ●7月25日、「DRESSED TO KILL」で日本デビューを果たす。その後、前2作もリリースされた。 ●9月10日、2枚組ライヴ・アルバム「ALIVE!」を発表。予約だけで40万枚を突破。 ●10月、ライヴ・ヴァージョンによる"ROCK AND ROLL ALL NITE"をシングル・カット。「ビルボード」誌チャートで最高12位をマークする。 ●11月、ボブ・エズリンをプロデューサーに起用しNYの「レコード・プラント」でレコーディング開始。 ●12月、「ALIVE!」がゴールド・デイスクを獲得。年明けにはプラチナムに到達。 ●12月31日、NY「ナッソー・コロシアム」でのニュー・イヤー・イヴ・コンサートに、MOTT THE HOOPLE,BLUE
OYSTER CULTを従えメイン・アクトとして登場。 ●3月15日、4作目のスタジオ・アルバム「DESTROYER」をリリース。 ●5月、初の欧州ツアーを約2週間にわたって行う。 ●7月、2ヶ月半に及ぶ全米ツアーを開始。 ●7月21日、初期の3作をセットにした「THE ORIGINALS」を限定発売。 ●8月20日、カリフォルニアの「アナハイム・スタジアム」での公演で5万人を動員。 ●9月、NYの「スター・シアター」でレコーディング開始。ジャック・ダグラスがプロデュースを手掛け、トラック・ダウンは「レコード・プラント」で行われた。 ●11月1日、「ROCK AND ROLL OVER」を発表。同月より全米ツアーをスタート。 ●2月、NYの「マディソン・スクエア・ガーデン」での初公演を行う。 ●3月、初来日。4回の武道館公演(のべ4万8,000人を動員し、BEATLESの記録を更新)を含む7回の公演を行う。 ●5月、NHK-TVの「ヤング・ミュージック・ショー」で日本公演の模様が放映される。 ●5月中旬、エディ・クレーマーをプロデューサーに起用し「レコード・プラント」でレコーディング開始。同月下旬には予約だけで、100万枚を突破しその時点でプラチナムに。 ●6月17日、「LOVE GUN」をリリース。「ビルボード」誌では最高4位をマーク。 ●7月、役半年間にわたる大規模なアメリカ〜カナダ・ツアーを開始。 ●8月、26,27,28日、LA「フォーラム」での公演の模様がライヴ・レコーデイングされる。 ●10月下旬、再び2枚組ライヴ・アルバム(4面のうち1面のみスタジオ録音)「ALIVE U」がリリースされる。 [1978年] ●3月、2回目の来日を果たす。5回の武道館公演を行い、自らの動員記録を塗り替える。 ●日本公演終了後、2年間のステージ活動停止を宣言。 ●4月15日、リミックス・ヴァージョンなどにより構成された2枚組ベスト・アルバム「DOUBLE PLATINUM」をリリース。 ●9月、4人のメンバーのソロ・アルバムが同時発売される。 ●10月28日、米NBC-TVでバンド自らの出演による映画「KISS MEETS THE PHANTOM」が放映される。 ●3月、ヴィニ・ポンシアのプロデュースのもとNYの「エレクトリック・レディ」スタジオでレコーディング開始。 ●5月23日、アルバム「DYNASTY」を発表。 ●6月11日、全米ツアー開始。”51日間連続ソールド・アウト”という記録を打ち立てる。また、「DYNASTY」はツアー開始直後にプラチナムに到達。 ●1月、ピーター・クリスがバンドを脱退。しかしその事実はそれから数ヶ月間、アルバムが発表されるまで公表されず。 ●5月23日、アルバム「UNMASKED」をリリース。ピーターは勿論プレイしておらず、セッション・ドラマーのアントン・フィグ(後にFREHLEY'S
COMETに加入)が参加。 ●6月、ピーターの後任がボブ・ロンディネリに内定するが、公式発表を待たずロンディネリがこれをふれまわったためKISS側が加入要請を取り消す。彼はその後RAINBOWに加入。 ●7月、2代目ドラマーとしてエリック・カーが加入。同月25日、NYの「パラディアム」で新生KISSとして初ライブを行う。 ●11月から12月にかけ、初のオーストラリア、ニュージーランド・ツアー。 ●11月下旬、ピーター・クリスがKISS脱退後初のソロ・アルバム「OUT OF CONTROL」を素顔で発表、BALLS
OF FIREなるバンドに参加。THE KEEPなるバンドではマーク・セント・ジョンとの接触もあったが成功には結びつかず、現在も自らのグループCRISSを率いて地道な活動を続けている。 ●1月、エース・フレイリー所有のスタジオで「UNMASKED」に続くアルバムのベーシック・トラックを録音。当初はKISS初期のサウンドを目指した作品になる予定だったが”コンセプト・アルバム製作”にプランが変更されたため、4月に予定されていたリリースが大幅に遅れる。 ●11月、ボブ・エズリンのプロデュースによるKISS初のコンセプト・アルバム「MUSIC FROM THE ELDER」を発表。(当時は珍しかった日本先行発売) ●3月、エース・フレイリーが交通事故に遭う。ほぼ同時期、バンドはマイケル・ジェイムス・ジャクソンをプロデューサーに迎えレコーディングを開始。エースは事実上脱退。 ●4月、新ギタリストのオーデションを開始。 ●5月、新曲、新ヴァージョン等を含むベスト盤「KISS KILLERS」を日本とヨーロッパでリリース。また同時期ビル・オーコインのマネージメントを離れている。 ●10月、「CREATURES OF THE NIGHT」を発表。ジャケットにはエースの顔も描かれていたものの、実際には参加しておらず、全10曲中8曲でヴィニー・ヴィンセントがプレイ。 ●ヴィニーをサポート・メンバーとして加え、12月下旬よりアメリカ〜カナダ・ツアーを開始。翌年4月まで続く。 ●4月下旬、再度マイケル・ジェイムス・ジャクソンと共にスタジオ入り。 ●6月中旬、南米ツアーを行い4回の公演で25万人を動員。事実上これがメイク時代のKISSの最後のツアーとなる。 ●8月、エース・フレイリー脱退が正式に伝えられ、ヴィニー・ヴィンセントが正式に新メンバーとして迎える。 ●9月18日、MTVのスペシャル・プログラムに4人揃って素顔で出演。素顔で活動することを発表する。 ●9月30日、素顔でのグループ写真をジャケットに用いたアルバム「LICK IT UP」を発表。 ●ヨーロッパ・ツアー終了後、ヴィニーが脱退を表明するが後任が見つからず、結果的にはそのまま全米ツアーにも同行。 ●4月、ジーン、ウェンディ・O・ウィリアムズのアルバム「W.O.W」をプロデュース。 ●5月、ヴィニー正式脱退。 ●6月、バンド自身のプロデュースでレコーディング開始。 ●8月、「ジャクソン・ギター」のグローヴァー・ジャクソン氏の推薦により、ヴィニーの後任としてマーク・セント・ジョンが加入。 ●ジーン、映画「RUNAWAY/未来警察」に出演。(日本公開は翌年7月) ●ジーン、KEELのアルバム「THE RIGHT TO ROCK」をプロデュース。 ●9月30日から11月下旬までヨーロッパ・ツアーを行うが、マークは病気のため参加できず、ブルース・キューリックがその代役として同行。 ●11月下旬、全米ツアー開始。年内のライヴのみ、数回の公演でマークが部分的に登場するが、基本的にはブルースがプレイ。ツアー自体は翌年3月まで続く。 ●12月8日、マークが脱退を表明し、ブルースが正式にその後任として迎えられる。また、同日デトロイトの「コボ・ホール」で行われたショウの模様はMTVにより撮影され、後にオン・エアさてた他、翌年春には「ANIMALIZE
LIVE UNCENSORED」のタイトルでホーム・ビデオとして発売された。 ●1月、「ANIMALIZE」がプラチナ・ディスクを獲得。 ●3月、エース・フレイリーが自らのバンド、FREHLEY'S COMETを率いてライヴ・デビュー。 ●4月、ジーンが映画「NEVER TOO YOUNG TO DIE」出演。 ●5月、NYの「エレクトリック・レディ」スタジオでレコーディング開始。 ●6月28日、「CREATURES OF THE NIGHT」のリミックス盤が新たなジャケットで再リリースされる。 ●8月、ヴィニー・ヴィンセントがVINNIE VINCENT INVASIONを結成。 ●9月、マーク・セント・ジョンが元BLACK SABBATHのデヴィッド・ドナード(VO)WHITE TIGERを結成。 ●9月中旬、アルバム「ASYLUM」を発表。 ●11月下旬、全米ツアー開始。翌年4月まで続く。オープニング・アクトにはBLACK N' BLUE,W.A.S.P.等を起用。 ●ジーン、アメリカのTV映画「THE HITCH-HIKER」に出演。その後、KEELの「THE FINAL FRONTIER」をプロデュース。 ●4月、「ANIMALIZE LIVE UNCENSORED」がゴールド・ビデオを獲得。 ●ジーン、映画「TRICK OR TREAT/地獄のロック&ローラー」に出演。続いて「WANTED,DEAD OR
ALIVE/ウォンテッド」の撮影も開始。 ●ジーン、BLACK N'BLUEの3RDアルバム「NASTY NASTY」とE.Z.O.のデビュー・アルバムを同時進行でプロデュース。 ●8月、VINNIEY VINCENT INVASIONが「CHRYSALIS」よりデビュー・アルバム「VINNIE
VINCENT INVASION」をリリース。バンドはこの作品と2作目「ALL SYSTEM GO」を残したのみで1988年8月に解散。オリジナル・メンバーだったディナ・ストラム(B)と途中参加のマーク・スローター(VO)はSLAUGHTERを結成。ボブ・ロック(DS)はNELSONに参加。 ●10月、WHITE TIGERがアルバムを発表。しかし結果的にはこの1作のみで解散。ドラマーのブライアン・ジェイムズ・フォックスは、後に「SIMMONS」レコードからデビューすることになるTHE
HUNGER(旧SILENT RAGE)に加入。 ●長期間にわたるソングライティングの後、4月、ロン・ネヴィソンのプロデュースのもとLAでレコーディングを開始。バンドはネヴィソンのスケジュールが空くまで約1年間待ち続けていた。 ●5月、ホーム・ビデオ「EXPOSED」をリリース。また同時期、FREHLEY'S COMET「MEGAFORCE/ATLANTIC」よりアルバム・デビュー。
●11月、全米ツアー開始。オープニング・アクトにはWHITE LION,テッド・ニュージェント等を起用。 ●4月、10年ぶり3回目のジャパン・ツアー。4都市で計6回のショウを行う。 ●ブルース、元CANDYのメンバーらによるNYのバンド、ELECTRIC ANGELSのデモ・テープをプロデュース。 ●6月、ベスト・アルバム「SMASHES,THRASHES&HITS」収録用の新曲のレコーディング。代表曲のリ・マスター等の作業が開始される。 ●8月16,22日の両日、英国はロンドンの「マーキー・クラブ」でギグを行う。 ●8月20日、英国キャッスル・ドニントンでの「モンスター・オブ・ロック」にスペシャル・ゲスト扱いで出演。トリはIRON
MAIDENで他にGUNS N'ROSESやMEGADETHも参加。2名の死者が出た。 ●ジーンが自らのレーベル「SIMMONS」を「BGM」の傘下の発足させる。第1弾アーティストとしてHOUSE OF
LORDSのデビュー・アルバムをリリース。 ●11月中旬、レーベルとHOUSE OF LORDSのプロモーションのためジーンが来日。 ●1月21日付の「ビルボード」誌で36ページにわたるKISSデビュー15周年特集が組まれる。 ●2月15日から3月12日までの間、ポールがクラブ規模のソロ・ツアーを行う。ブルースの実兄で過去にKISSのレコーディングにも部分的に参加していたボブ・キューリック(G)やエリック・シンガー(DR)らがこれに同行。 ●ジーン、「RED SURF」なる映画にヴェトナム退役軍人の役で出演。 ●10月中旬、「HOT IN THE SHADE」がリリースされる。アメリカでは発売当日のみで50万枚を出荷し、KISSにとって20枚目のゴールド・アルバムに。 ●10月17日、映画「SHOCKER」のサウンド・トラック・アルバムがリリースされる。ポールのプロジェクト、THE
DUDES OF WRATHによる”SHOCKER”の他、「CRAZY NIGHTS」アルバムでKISSが収録予定だった”SWORD
AND STONE”の、BONFIREによるヴァージョンも収められている。尚、この曲は同時期、LOVERBOYのギタリスト、ポール・ディーンもアルバム「HARD
CORE」の中で取りあげていた。 ●2月9日から開始される予定だった全米ツアーが公演日程まで発表されていながら突如キャンセルされる。 ●4月14日、NYのクラブ「ストーン・ポニー」で、癌に冒された少女のためのベネフィット・ギグを行う。 ●5月4日、テキサス州ラボックを皮切りに全米ツアーを開始。サポート・アクトにはSLAUGHTER,WINGER(時期によってはLITTLE
CAESAR)を起用。このツアーは結果的には11月上旬まで続行された。 ●7月4日、ポールが交通事故に巻き込まれ、翌日のコネチカット州ニューヘイヴンでのショウを延期。 ●4月、定期検診を受けたエリック・カーの右心房に腫瘍が発見される。1回目の手術で無事摘出されたが、6月にはそれが癌性のものと判明、化学療法に切り替えられる。 ●映画、「BLL&TED'S BOUGUS JOURNEY」のサウンド・トラック用に、ARGENTのカヴァー”GOD
GAVE ROCK'N'ROLL TO YOU U”をレコーディング。エリック・カーは参加できず、代わりにポールのソロ・ツアーに参加したことのあるエリック・シンガーが演奏。プロデューサーにはボブ・エズリンを起用。結果的にはアルバムもこの顔ぶれでレコーディング。 ●8月18日、”GOD GAVE ROCK'N'ROLL TO YOU U”のビデオ・クリップがMTVで初公開される。 ●9月末、エリックが脳内出血のため再度NYのマンハッタン病院に入院。 ●11月24日、心臓麻痺によりエリック死去。享年41歳。 ●11月30日、NYのミドルタウンにあるセント・ジョセフ教会にてエリックの葬儀が行われる。 ●年明け早々、”GOD GAVE ROCK'N'ROLL TO YOU U”のシングルが英国チャートでトップ5入り。 ●3月末、プロデューサーのボブ・エズリンがプロモーションのため来日。 ●4月23日から5月10日までの間、SHOOTING GALLERYを従えての北米クラブ・ツアーを行う。 ●5月、「REVENGE」をリリース。 ●5月16日、アリーナ規模のUKツアーを開始。オープニング・アクトはDANDER DANGER ●6月6日付「ビルボード」誌アルバム・チャートに「REVENGE」が6位で初登場。「DYNASTY」以来のトップ10アルバムとなる。また同作は英国でもトップ10、日本でもトップ15入り。 ●8月21日、オクラホマ州タルサを皮切りに全米ツアーを開始。サポート・アクトはLYNCH MOBとFASTER PUSSYCAT。 ●8月末、KISS公認のオフィシャル・コピー・バンド(!?)COLD GINが来日予定。 |