[1972年]

●4月、ジーン・シモンズとポール・スタンレーがそれまで在籍していたWICKD LESSTERを脱退し、新バンド結成に向けて動き出す。「ローリング・ストーン」誌、「ヴィレッジ・ヴォイス」紙に載せた募集告知により、ピーター・クリスとエース・フレーリーがそれぞれ加入し、KISS誕生。

[1973年]

●1月28日、NYはクィーンズの「コヴェントリー・クラブ」にてKISSとして初めてのギグが行われる。

●6月、エディ・クレイマーをプロデューサーに迎えデモ・テープをレコーディング。

●8月、NYのホテル「ディプロマット」でのショーを観ていたTVプロデューサー、ビル・オーコインがマネージメント契約を申し出る。その直後、オーコインを通じてニール・ボガードが設立した「CASABLANCA」レコードとの契約も成立。同レーベルの所属アーティスト第一弾となる。契約金は1万ドルだった。ちなみにボガードは1982年に39歳の若さで急死。

●9月、ビル・オーコインがマネージメント会社「ロック・ステディ」を設立

●10月、NYの「ベル・サウンド」スタジオでデビュー・アルバムの製作を開始。年末までにトラック・ダウンを完了。

●12月31日、NYの「アカデミー・オブ・ミュージック」でのニュー・イヤーズ・イヴ・コンサート(BULE OYSTER CULT)にオープニング・アクトとして出演。



[1974年]

●2月8日、第1作「KISS」発表。翌3月、"NOTHING TO LOSE"をシングル・カット。

●3月、全米ツアーを開始。約40分の持ち時間だった。

●4月、シングル"KISSIN'TIME"をレコーディング。翌5月、この曲を「KISS」に追加収録し再リリース。

●6月2日、公演先のジヨージア州アトランタにて、あまりの過密スケジュールのためポールが倒れる。ツアー自体はその後、8月まで続行。

●9月、LAの「ヴィレッジ・レコーダー」にて2NDアルバムのレコーディングを開始。プロデューサーには第1作同様ケニー・カーナーとリッチー・ワイズを起用。

●10月22日、2NDアルバム「HOTTER THAN HELL」を発表。その後、再び全米ツアー。

[1975年]

●2月、バンド自身とニール・ボガートのプロデュースにより3RDアルバムのレコーディングを開始。

●3月19日「DRESSED TO KILL」を発表。第1弾シングルは"ROCK AND ROLL ALL NITE"。その後、全米ツアーを開始。

●5月16、17日のデトロイト「コボ・ホール」での公演の模様をエディ・クレイマーの手によりライブ・レコーディング。ちなみにチケットは2日間ともソールド・アウトだった。

●7月25日、「DRESSED TO KILL」で日本デビューを果たす。その後、前2作もリリースされた。

●9月10日、2枚組ライヴ・アルバム「ALIVE!」を発表。予約だけで40万枚を突破。

●10月、ライヴ・ヴァージョンによる"ROCK AND ROLL ALL NITE"をシングル・カット。「ビルボード」誌チャートで最高12位をマークする。

●11月、ボブ・エズリンをプロデューサーに起用しNYの「レコード・プラント」でレコーディング開始。

●12月、「ALIVE!」がゴールド・デイスクを獲得。年明けにはプラチナムに到達。

●12月31日、NY「ナッソー・コロシアム」でのニュー・イヤー・イヴ・コンサートに、MOTT THE HOOPLE,BLUE OYSTER CULTを従えメイン・アクトとして登場。

[1976年]

●3月15日、4作目のスタジオ・アルバム「DESTROYER」をリリース。

●5月、初の欧州ツアーを約2週間にわたって行う。

●7月、2ヶ月半に及ぶ全米ツアーを開始。

●7月21日、初期の3作をセットにした「THE ORIGINALS」を限定発売。

●8月20日、カリフォルニアの「アナハイム・スタジアム」での公演で5万人を動員。

●9月、NYの「スター・シアター」でレコーディング開始。ジャック・ダグラスがプロデュースを手掛け、トラック・ダウンは「レコード・プラント」で行われた。

●11月1日、「ROCK AND ROLL OVER」を発表。同月より全米ツアーをスタート。

[1977年]

●2月、NYの「マディソン・スクエア・ガーデン」での初公演を行う。

●3月、初来日。4回の武道館公演(のべ4万8,000人を動員し、BEATLESの記録を更新)を含む7回の公演を行う。

●5月、NHK-TVの「ヤング・ミュージック・ショー」で日本公演の模様が放映される。

●5月中旬、エディ・クレーマーをプロデューサーに起用し「レコード・プラント」でレコーディング開始。同月下旬には予約だけで、100万枚を突破しその時点でプラチナムに。

●6月17日、「LOVE GUN」をリリース。「ビルボード」誌では最高4位をマーク。

●7月、役半年間にわたる大規模なアメリカ〜カナダ・ツアーを開始。

●8月、26,27,28日、LA「フォーラム」での公演の模様がライヴ・レコーデイングされる。

●10月下旬、再び2枚組ライヴ・アルバム(4面のうち1面のみスタジオ録音)「ALIVE U」がリリースされる。

●12月15,16、NYの「マディソン・スクエア・ガーデン」にて公演を行う。

[1978年]

●3月、2回目の来日を果たす。5回の武道館公演を行い、自らの動員記録を塗り替える。

●日本公演終了後、2年間のステージ活動停止を宣言。

●4月15日、リミックス・ヴァージョンなどにより構成された2枚組ベスト・アルバム「DOUBLE PLATINUM」をリリース。

●9月、4人のメンバーのソロ・アルバムが同時発売される。

●10月28日、米NBC-TVでバンド自らの出演による映画「KISS MEETS THE PHANTOM」が放映される。

[1979年]

●3月、ヴィニ・ポンシアのプロデュースのもとNYの「エレクトリック・レディ」スタジオでレコーディング開始。

●5月23日、アルバム「DYNASTY」を発表。

●6月11日、全米ツアー開始。”51日間連続ソールド・アウト”という記録を打ち立てる。また、「DYNASTY」はツアー開始直後にプラチナムに到達。

[1980年]

●1月、ピーター・クリスがバンドを脱退。しかしその事実はそれから数ヶ月間、アルバムが発表されるまで公表されず。

●5月23日、アルバム「UNMASKED」をリリース。ピーターは勿論プレイしておらず、セッション・ドラマーのアントン・フィグ(後にFREHLEY'S COMETに加入)が参加。

●6月、ピーターの後任がボブ・ロンディネリに内定するが、公式発表を待たずロンディネリがこれをふれまわったためKISS側が加入要請を取り消す。彼はその後RAINBOWに加入。

●7月、2代目ドラマーとしてエリック・カーが加入。同月25日、NYの「パラディアム」で新生KISSとして初ライブを行う。

●8月末より、4年ぶりのヨーロッパ・ツアーを約1ヶ月半にわたって行う。

●11月から12月にかけ、初のオーストラリア、ニュージーランド・ツアー。

●11月下旬、ピーター・クリスがKISS脱退後初のソロ・アルバム「OUT OF CONTROL」を素顔で発表、BALLS OF FIREなるバンドに参加。THE KEEPなるバンドではマーク・セント・ジョンとの接触もあったが成功には結びつかず、現在も自らのグループCRISSを率いて地道な活動を続けている。

[1981年]

●1月、エース・フレイリー所有のスタジオで「UNMASKED」に続くアルバムのベーシック・トラックを録音。当初はKISS初期のサウンドを目指した作品になる予定だったが”コンセプト・アルバム製作”にプランが変更されたため、4月に予定されていたリリースが大幅に遅れる。

●11月、ボブ・エズリンのプロデュースによるKISS初のコンセプト・アルバム「MUSIC FROM THE ELDER」を発表。(当時は珍しかった日本先行発売)

[1982年]

●3月、エース・フレイリーが交通事故に遭う。ほぼ同時期、バンドはマイケル・ジェイムス・ジャクソンをプロデューサーに迎えレコーディングを開始。エースは事実上脱退。

●4月、新ギタリストのオーデションを開始。

●5月、新曲、新ヴァージョン等を含むベスト盤「KISS KILLERS」を日本とヨーロッパでリリース。また同時期ビル・オーコインのマネージメントを離れている。

●10月、「CREATURES OF THE NIGHT」を発表。ジャケットにはエースの顔も描かれていたものの、実際には参加しておらず、全10曲中8曲でヴィニー・ヴィンセントがプレイ。

●ヴィニーをサポート・メンバーとして加え、12月下旬よりアメリカ〜カナダ・ツアーを開始。翌年4月まで続く。

[1983年]

●4月下旬、再度マイケル・ジェイムス・ジャクソンと共にスタジオ入り。

●6月中旬、南米ツアーを行い4回の公演で25万人を動員。事実上これがメイク時代のKISSの最後のツアーとなる。

●8月、エース・フレイリー脱退が正式に伝えられ、ヴィニー・ヴィンセントが正式に新メンバーとして迎える。

●9月18日、MTVのスペシャル・プログラムに4人揃って素顔で出演。素顔で活動することを発表する。

●9月30日、素顔でのグループ写真をジャケットに用いたアルバム「LICK IT UP」を発表。

●10月中旬よりヨーロッパ・ツアー開始。11月末まで続行。

●ヨーロッパ・ツアー終了後、ヴィニーが脱退を表明するが後任が見つからず、結果的にはそのまま全米ツアーにも同行。

[1984年]

●4月、ジーン、ウェンディ・O・ウィリアムズのアルバム「W.O.W」をプロデュース。

●5月、ヴィニー正式脱退。

●6月、バンド自身のプロデュースでレコーディング開始。

●8月、「ジャクソン・ギター」のグローヴァー・ジャクソン氏の推薦により、ヴィニーの後任としてマーク・セント・ジョンが加入。

●ジーン、映画「RUNAWAY/未来警察」に出演。(日本公開は翌年7月)

●ジーン、KEELのアルバム「THE RIGHT TO ROCK」をプロデュース。

●9月30日から11月下旬までヨーロッパ・ツアーを行うが、マークは病気のため参加できず、ブルース・キューリックがその代役として同行。

●11月下旬、全米ツアー開始。年内のライヴのみ、数回の公演でマークが部分的に登場するが、基本的にはブルースがプレイ。ツアー自体は翌年3月まで続く。

●12月8日、マークが脱退を表明し、ブルースが正式にその後任として迎えられる。また、同日デトロイトの「コボ・ホール」で行われたショウの模様はMTVにより撮影され、後にオン・エアさてた他、翌年春には「ANIMALIZE LIVE UNCENSORED」のタイトルでホーム・ビデオとして発売された。

[1985年]

●1月、「ANIMALIZE」がプラチナ・ディスクを獲得。

●3月、エース・フレイリーが自らのバンド、FREHLEY'S COMETを率いてライヴ・デビュー。

●4月、ジーンが映画「NEVER TOO YOUNG TO DIE」出演。

●5月、NYの「エレクトリック・レディ」スタジオでレコーディング開始。

●6月28日、「CREATURES OF THE NIGHT」のリミックス盤が新たなジャケットで再リリースされる。

●8月、ヴィニー・ヴィンセントがVINNIE VINCENT INVASIONを結成。

●9月、マーク・セント・ジョンが元BLACK SABBATHのデヴィッド・ドナード(VO)WHITE TIGERを結成。

●9月中旬、アルバム「ASYLUM」を発表。

●11月下旬、全米ツアー開始。翌年4月まで続く。オープニング・アクトにはBLACK N' BLUE,W.A.S.P.等を起用。

●12月16日、6年ぶりにNYの「マディソン・スクェア・ガーデン」でショウを行う。

●ジーン、アメリカのTV映画「THE HITCH-HIKER」に出演。その後、KEELの「THE FINAL FRONTIER」をプロデュース。

[1986年]

●4月、「ANIMALIZE LIVE UNCENSORED」がゴールド・ビデオを獲得。

●ジーン、映画「TRICK OR TREAT/地獄のロック&ローラー」に出演。続いて「WANTED,DEAD OR ALIVE/ウォンテッド」の撮影も開始。

●ジーン、BLACK N'BLUEの3RDアルバム「NASTY NASTY」とE.Z.O.のデビュー・アルバムを同時進行でプロデュース。

●8月、VINNIEY VINCENT INVASIONが「CHRYSALIS」よりデビュー・アルバム「VINNIE VINCENT INVASION」をリリース。バンドはこの作品と2作目「ALL SYSTEM GO」を残したのみで1988年8月に解散。オリジナル・メンバーだったディナ・ストラム(B)と途中参加のマーク・スローター(VO)はSLAUGHTERを結成。ボブ・ロック(DS)はNELSONに参加。

●10月、WHITE TIGERがアルバムを発表。しかし結果的にはこの1作のみで解散。ドラマーのブライアン・ジェイムズ・フォックスは、後に「SIMMONS」レコードからデビューすることになるTHE HUNGER(旧SILENT RAGE)に加入。

[1987年]

●長期間にわたるソングライティングの後、4月、ロン・ネヴィソンのプロデュースのもとLAでレコーディングを開始。バンドはネヴィソンのスケジュールが空くまで約1年間待ち続けていた。

●5月、ホーム・ビデオ「EXPOSED」をリリース。また同時期、FREHLEY'S COMET「MEGAFORCE/ATLANTIC」よりアルバム・デビュー。

●9月21日、アルバム「CRAZY NIGHTS」を発表。

●11月、全米ツアー開始。オープニング・アクトにはWHITE LION,テッド・ニュージェント等を起用。

[1988年]

●4月、10年ぶり3回目のジャパン・ツアー。4都市で計6回のショウを行う。

●ブルース、元CANDYのメンバーらによるNYのバンド、ELECTRIC ANGELSのデモ・テープをプロデュース。

●6月、ベスト・アルバム「SMASHES,THRASHES&HITS」収録用の新曲のレコーディング。代表曲のリ・マスター等の作業が開始される。

●8月16,22日の両日、英国はロンドンの「マーキー・クラブ」でギグを行う。

●8月20日、英国キャッスル・ドニントンでの「モンスター・オブ・ロック」にスペシャル・ゲスト扱いで出演。トリはIRON MAIDENで他にGUNS N'ROSESやMEGADETHも参加。2名の死者が出た。

●ジーンが自らのレーベル「SIMMONS」を「BGM」の傘下の発足させる。第1弾アーティストとしてHOUSE OF LORDSのデビュー・アルバムをリリース。

●11月中旬、レーベルとHOUSE OF LORDSのプロモーションのためジーンが来日。

[1989年]

●1月21日付の「ビルボード」誌で36ページにわたるKISSデビュー15周年特集が組まれる。

●2月15日から3月12日までの間、ポールがクラブ規模のソロ・ツアーを行う。ブルースの実兄で過去にKISSのレコーディングにも部分的に参加していたボブ・キューリック(G)やエリック・シンガー(DR)らがこれに同行。

●ジーン、「RED SURF」なる映画にヴェトナム退役軍人の役で出演。

●10月中旬、「HOT IN THE SHADE」がリリースされる。アメリカでは発売当日のみで50万枚を出荷し、KISSにとって20枚目のゴールド・アルバムに。

●10月17日、映画「SHOCKER」のサウンド・トラック・アルバムがリリースされる。ポールのプロジェクト、THE DUDES OF WRATHによる”SHOCKER”の他、「CRAZY NIGHTS」アルバムでKISSが収録予定だった”SWORD AND STONE”の、BONFIREによるヴァージョンも収められている。尚、この曲は同時期、LOVERBOYのギタリスト、ポール・ディーンもアルバム「HARD CORE」の中で取りあげていた。

[1990年]

●2月9日から開始される予定だった全米ツアーが公演日程まで発表されていながら突如キャンセルされる。

●4月14日、NYのクラブ「ストーン・ポニー」で、癌に冒された少女のためのベネフィット・ギグを行う。

●5月4日、テキサス州ラボックを皮切りに全米ツアーを開始。サポート・アクトにはSLAUGHTER,WINGER(時期によってはLITTLE CAESAR)を起用。このツアーは結果的には11月上旬まで続行された。

●7月4日、ポールが交通事故に巻き込まれ、翌日のコネチカット州ニューヘイヴンでのショウを延期。

[1991年]

●4月、定期検診を受けたエリック・カーの右心房に腫瘍が発見される。1回目の手術で無事摘出されたが、6月にはそれが癌性のものと判明、化学療法に切り替えられる。

●映画、「BLL&TED'S BOUGUS JOURNEY」のサウンド・トラック用に、ARGENTのカヴァー”GOD GAVE ROCK'N'ROLL TO YOU U”をレコーディング。エリック・カーは参加できず、代わりにポールのソロ・ツアーに参加したことのあるエリック・シンガーが演奏。プロデューサーにはボブ・エズリンを起用。結果的にはアルバムもこの顔ぶれでレコーディング。

●8月18日、”GOD GAVE ROCK'N'ROLL TO YOU U”のビデオ・クリップがMTVで初公開される。

●9月末、エリックが脳内出血のため再度NYのマンハッタン病院に入院。

●11月24日、心臓麻痺によりエリック死去。享年41歳。

●11月30日、NYのミドルタウンにあるセント・ジョセフ教会にてエリックの葬儀が行われる。

[1992年]

●年明け早々、”GOD GAVE ROCK'N'ROLL TO YOU U”のシングルが英国チャートでトップ5入り。

●1月、エリック・シンガーの正式加入が公表される。

●3月末、プロデューサーのボブ・エズリンがプロモーションのため来日。

●4月23日から5月10日までの間、SHOOTING GALLERYを従えての北米クラブ・ツアーを行う。

●5月、「REVENGE」をリリース。

●5月16日、アリーナ規模のUKツアーを開始。オープニング・アクトはDANDER DANGER

●6月6日付「ビルボード」誌アルバム・チャートに「REVENGE」が6位で初登場。「DYNASTY」以来のトップ10アルバムとなる。また同作は英国でもトップ10、日本でもトップ15入り。

●8月21日、オクラホマ州タルサを皮切りに全米ツアーを開始。サポート・アクトはLYNCH MOBとFASTER PUSSYCAT。

●8月末、KISS公認のオフィシャル・コピー・バンド(!?)COLD GINが来日予定。


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