'72年にニューヨークから現われた4人組ハード・ロック・パンドKISSは、その異様なメイクと派手なパフォーマンスによってたちまち爆発的な人気を獲得、全世界を席巻した。彼らのキワモノ的な魅力は待に少年少女達に強くアピールしたが、一方ではその“ロックのカリカチュア”的なあり方に眉をひそめる”知的ロック・ファン”が多かったこともまた事実である。

'70年代に大ブームを巻き起こした”地獄からの使者””仮面の軍団”について単なるなる一過性の現象にすぎないという見方をしていた人々の予想を裏切り、仮面を脱ぎ捨てて、メンバー・チェンジを繰り返しながら、ヴェテラン・ロッカーとしての“人物の風俗”を身につけて現在に至っているKISSが、ロック・シーンにこおいて果たした役割とは何だったのだろうか?

数多くのミュージシャンが「KISSに触発されてバンドを始めた」と発言する一方で、当のKlSSも新作をヒットさせている“今”こそ、彼らの”ロッカーとしての真実”と“伝説の裏側”を知るべき時なのではないだろうか?
“地獄の軍団”としてのキャラクターの束縛から解き放ち、“KISSの音楽とは何だったのか”に正面から向き合おうではないか……。

”ハードロックへの入り口としてのKISS” 文 平野和祥

”無垢な少年達に衝撃を与えた罪作りなバンド ” 文 前田岳彦

”ロック・ファンとしての自分の”育ての親 ” 文 増田勇一

”虚飾を取り去ってKISSを再評価すると・・・”  文 広瀬和生

小学校の4年生か5年生ぐらいまで、僕のアタマの中にある音楽への意識なんてものは、まことに平和なものだった。その頃までに耳から受け入れて好きになった音楽には今にして思えば様々なスタイルのものがあったが、それらは総て偶然何かの機会に耳にしたあるアーティストのある曲が感性に触れたかどうかという程度の問題で、ひとつのバンドが同時代に活動していて次々と新しい作品や話題を提供してくれることに対する興味に結びついていなかったわけだ。

そんな状況だったから、僕のアタマの中では、"HIGHWAY STAR"のすぐ隣にハチャトゥリアンの”剣の舞”が鳴り響いていたし、BEATLESやサイモンとガーファンクルの真近に西城秀樹岩崎宏美が在って、その向こうで仮面ライダーV3がデストロンと対決し、EAGLESとムソルグスキーと"STAIRWAY TO HEAVEN"とオリヴィア・ニュートン・ジョンが「サンダーバード」の主題歌と同じ大きさで心の中に湧き上がってくる、というような、脈略不明の風景を呈していたのである。それがシアワセな音楽趣味だったのかどうかは判らない。

しかし、とにかく、そこでは時間の流れもシーンの動向も、音楽ジャンルの特質も、ほとんど意味を成して
いなかった。それがやがて、洋楽指向、ロック指向と自分の趣味を絞りこめるようになったきっかけ・・・僕のKISSへの個人的な思い入れは、まず何をおいてもその一点に在る。何しろKISSは、そのはなはだしい存在感で一世を風靡したロック・スターであった。

コンパクトで取っつきやすい曲に、この世のものとは思えないヴィジュアル・イメージとキャラクター設定、彼達の動向は刻一刻とラジオ番組を通じて伝わってきた。"LARGER THAN LIFE"なるキーワードの意味をアタマで理解出来るようになったのは遥か後のことだが、そういうニュアンスを僕の子供心に最初に、刺激的で判りやすい形で示してくれたのが、この4人組だったことは間違いない。

「KISSはコンサートで火を吹いたり血を吐いたりするそうだ」「ジーン・シモンズは怪獣のようにステージをのし歩き、ポール・スタンレーはクネクネピョンピョンと客を煽るそうだ」ひとつのバンドへの興味、彼等が作り出すイメージへの耽溺。

それから僕はロック雑誌を買うようになり、友達とバンドやロックについて話すようになった。
「KISSなんて子供だましだぞ、エアロを聴けよ、貸してやる」(テメエが子供であることを完全に失念しているいち友人)「何言ってんだよ。エアロなんてウルさいだけだし、何かジジ臭いぞ。ジーンなんか舌がひゅるひゅる伸びるんだぞ」(ワタシ)今なら、あの友人に、AEROSMITHの素晴らしさを正当に認めてやった上で、KISSの作り出したイメージ戦略の完璧さと音楽的許容力の強力さを延々と説いて、その存在の価値を認めさせる努力を惜しまないが、あの頃はそんな事、思いもよらなかった。

ただただ、KISSはとても判りやすい"SOMETHING SPECIAL"が宿っており、それが子供をロックの世界へ誘うための入口としては必要充分かつ効果的なもので、こっちはそれに見事に引っかかっていただけなのだろう。そして・・・今でも(イヤ、今だからこそ)それに引っかかって良かった、と思っている。

総てが総てとは言わないが、ロックにはどこかしら子供じみた自己主張と目立とう精神が根っ子の部分に在る場合が多いような気がする。それを受け手に伝達する過程において、様々な音楽スタイルが生み出されているし、自然と受け手のほうもそのスタイルが性に合うか合わないかによって限定されていくのだろうが、KISSのロックへのアプローチとフックの作り方は、とりわけ普通のメンタリティの子供にとって入り込みやすい派手さと確実さのバランスの上に成り立っている。いわば、球技におけるドッチボール、トランプにおけるババ抜きのようなものではないだろうか。

その後それを卒業していく人がほとんどだが、いざという時、それは様々な場所に散った人間の共時体験として語ることも出来るし、それ自体が時間の流れを超えた確かなクォリティを凝縮したものであるため、いつでも楽しめることが可能である。−KISSの位置もそういう場所にある。KISSの自己主張の方法は、見事なまでに受けての”遊び心”に呼応して発達してきた。事、'70年代に彼等がロック・スターに昇りつめていく過程は、この呼吸が厳格なジャンル意識と細分化を破る過程は、この呼応が厳格なジャンル意識と細分化を破る以前のアメリカのロック・ビジネスと密接に結び合って共振した結果だった。

ここ日本でも状況は同じだったが、本国アメリカでは彼等の創り出す音楽そのものの魅力に加えて、大量のキャラクター商品がキッズの間に広まり、バンドへの思い入れを煽り立てるのに一役買った。ハードR&Rを軸にして様々なポップ要素を取り込んだ音楽性とこの大衆性を結んだことで広まったKISSのファン開拓は、すなわちアメリカのロー・ティーンエイジャーにおける多様なロック・ファン開拓の意味を持っていた。

POISONやDANGER DANGERがKISSのカヴァーをとりあげているのは、その音楽性から言ってもまだわかる。しかし、そこにとどまらずSKID ROW,ANTHRAX,DEATH ANGELといったバンドまでが彼等のカヴァーをレコーディングし、さらにはパンクやグランジの畑のインディ・アクト達が盛んにKISSをレパートリーに取り上げている現実があるし、アーティスト・インタビューの際、頻繁に「初めて買ったアルバムはKISS」というような発言が見られるようになった昨今である。

現在奮闘しているバンド達が、現在の音楽性を問わず、KISSの思い出を露にするこんな瞬間、僕自身の現在と過去をも重ね合わせて、彼等の入り口としての機能を強く思い知る。2年程前、グランジ系バンドばかりを集めたKISSへのトリピュード・アルバムがリリースされた際、その内ジャケ写真に敷きつめられたKISSグッズを見て、何やら非常に感慨深かったことを覚えている。

確かにKISSは破格の多い、一種の”ロック映画”だった。しかし、劇画というものは、本当に本物を捉えている者にしか描けないと思うのだ。

僕は現在27歳、そして近々28歳になる。ま、要するにいよいよ”大台”を目前に控え、これまでの怠情な人生を悔い、”出来る事ならやり直しを・・・・”と叶わぬ願いを抱いている年代であるわけだ。そんな僕の心境をわかってくれる読者の皆さんの多くにとって(?)”ロックの入り口”といったバンドといえば、やはりKISS,AEROSMITH,QUEEN,BAY CHITY ROLLERS・・・といったあたりが挙げられるのだろう。そのうちどれかと、学年で言えば中学校に上がった頃に”衝撃的な出会い”をしてしまうわけだ。

しかし、その中でもーステイタスや音楽的な評価とは別の次元で考えればーやはりKISSは別格だ。何故なら、彼らはロック・シーンに衝撃を与えたばかりでなく、一般社会をも騒がせてしまったのだから・・・。20代半は以上の方なら、彼らが'77年に初来日を果たした時、一般のTV番組(ニュース)や雑誌までもが今で言うところのマイケル・ジャクソンやマドンナばりの扱いで大々的に取り上げていたことを覚えているだろう。それに加えて”マーチャンダイズ”とはまた違った”キャラクター商品”までが発売されてしまうという・・・
まるでピンク・レディーみたいなノリだったのである。

思えば、僕が最初にKISSというバンドに出会ったのは、中学1年生の時、小学校からの友人で、今は何をしているかわからない河口というヤツの部屋でだった。そこには、あの有名なメイクを施したオリジナル・メンバー、つまりポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、ピーター・クリスの4人が、強烈なポーズで収まったポスターが貼られていた。ポールが真っ赤な唇と濃い胸毛を誇示し、ジーンは長い舌をベロ〜りと出しながら、腋の下に生えた翼を広げている。”いかにも”という感じのものだったことを、今まで鮮明に覚えている。

しかし、その当時、ロックのロの字も知らない単なるカー・マニアの小僧だった僕は、正直なところそれを見て、”コイツら、バカなんじゃねーの”本気で思い、ハッキリと口に出した。当然のことながら、部屋にポスターを貼るほどのKISSファンである河口は怒り、困惑する。そこで、彼は、そんな僕の第一印象を変えるべく、本棚から「MUSIC LIFE」誌を数冊取り出してきてアレコレと能書きをタレ始めたのだが(何故か、音は聴かせてくれなかった)結局、それは逆効果になってしまった。

何故なら、そこには
例のポスター以上に狂態を演じるKISS・・・そう、火を吹いたり、血を吐いたり、ギターを壊したりしているライヴ・ショットの数々が所狭しと掲載されていたのだから・・・僕の中では、完全に”KISS=頭のイカレた変態4人組”というイメージが出来上がってしまったのである。

しかし、それによって、僕の心にKISSという存在がしっかりと刻み込まれたこともまた、否定のしようのない事実だった。勿論、それは多分に好奇心に裏打ちされたものであったわけだが・・・。しかし、以降僕は何かにつけてKISSのことを気にかけるようになり、先述した'77年の初来日公演にしても、金を払ってまでも観たいなどとはまったく思わなかったものの、”タダなら”ということで、NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」で放映されたものを観た。当然のことながら、まだ彼らの曲など1曲も知らない。ただ単に、火吹き、血吐きありの”奇人変人ショー”を観たい一心で、TVの前に座ったのである。

しかし、その後”運命の時”(?)がやってくる。あれは、忘れもしない'77年のある夏の日の午後、例の河口を含む数人と「ロッテリア」でハンバーガーなんぞをパクついている時だった。いつものようにバカ話に花を咲かせていると、それまで平和なポップスなんぞを流していた店内のスピーカーから、いきなりギター、ベース、ドラムスが一丸となったマシンガンの如きイントロが飛び出してきたのだ。

僕は直感的に”カッコいい!”と思い、河口に「これは何!?」と尋ねると、彼は「コレこそがオマエが”バカ”と罵ったKISSのニュー・アルバムのタイトル・トラック”LOVE GUN"である。そして、コレがロック、いやハード・ロックと言うものだ」と、毅然とした態度で答えたのである。その後、僕が数少ない小遣いを握り締めて「LOVE GUN」を買いに走ったことは言うまでもない。

KISSサウンドには、既に「ヤング・ミュージック・ショー」で接しているはずなのに、その時には何も感じなかった。にも拘わらず、「ロッテリア」くんだりで”LOVE GUN"を聴いた時に、何故心の底から”カッコいい!!”と感じてしまったのか・・・正直なところ、その理由は未だにわからない。ま、単純に考えてみれば"LOVE GUN"がとてつもなく魅力的な曲だったから・・・ということになるのだろうが、僕としてはそうではなく、”バカな”ヴィジュアルや”奇行”からくる偏見のガードが解かれている時に、サウンドだけが奇襲攻撃をかけてきたことによって、”開眼”させられてしまったのではないかと思っている。

その後、僕は
KISSに本格的にハマリ、ジーンに憧れてベースを買い、鏡に向かって舌を伸ばす練習をするまでになってしまった。(実際に舌が伸びた・・・)そして、その道は、HR/HMシーンに続いていた・・・。

KISSの凄さというのは、ここまで書いてきた僕の実体験が雄弁に物語っていると思う。彼らは”ロックを聴いてみよう”などとはこれっぽちも思っていない無垢な少年少女をも巻き込んでしまう、罪作りなバンドだったのである。彼はまず、そのヴィジュアルでもって”良””悪”どちらでも一向に構うことなく強烈な印象を人々に与え、存在を認識させ、その後にじっくりと音楽でもって納得させる、ということを図らずして行っていた。いや、もしかしたら、総ては計算づくだったのかもしれないが・・・そうであるならば、僕は完全に”ハメられてしまった”ということになる。

ちなみに河口とは3〜4年前に同窓会で顔を会わせたのだが、僕のなりを見るなり「お前、まだロックなんか聴いているの!?」などという台詞をしゃあしゃあと吐いた。僕にKISSを教えた人間が今ではすっかりカタギの生活を送っているのに対し、僕は未だに脱け出すことが出来ないばかりか、こういう仕事で生計を立てている・・・人生というのは、何とも皮肉なものである。

”'70年代のロック”という言葉の指すものは人によってかなり違うはずだが、僕にとってのそれはまさにQUUEN,KISS,AEROSMITHの”3大グループ”に代表されるものだ。LED ZEPPELINやDEEP PURPLEがわからないとロック・ファンの資格がないようなことを言われたり、逆にBAY CITY ROLLERSのファンから同族意識を持たれてムカついたり(音楽自体は好きだったが・・・)というなかなか微妙な立場ではあったが、実際その”3大グループ”を中心にロックを楽しみ、まだ背表紙があった頃の「MUSIC LIFE」誌をむさぼるように読んでいた者は周りに多かった。

KISSを初めて見たのは、その「M.L.」誌に載っていた「DRESSED TO KILL」(というよりは「地獄の接吻」か)の日本発売決定広告だった。確か隣のページには、同じ「CASABLANCA」からデビューしたFUNNY(スージー・クアトロの姉貴かなんかがいた女の子バンド)の広告が載っていたのだが、とにかく、その時は”衝撃をおぼえた”というより呆気にとられてしまい”コレ何?」という疑問符が幾つも浮かんでしまった。

ロックというものについての予備知識があまりにもなかった僕には、その奇怪でもありコミカルでも
あるヘンな4人組が果たしてどんな音をだすのかなど見当も付かなかった。実際、初めて彼らの"ROCK AND ROLL ALL NITE"を聴いた時でさえ、それを何と呼んでいいのか分らなかった。髪の毛が長くて大きな音を出すのがHRというものらしいとはわかっていても、他のバンドとはどう見ても違っていたし、ましてや「M.L.」にはDOOBIE BROTHERSやEAGLESも同じように載っていたから、どこからどこまでがHRなのやら見当も付かなかった。

しかし、"ROCK AND ROLL ALL NITE"などというからにはそれはロックン・ロールなのだろうとは思ったし、見た目よりもずっとマトモな音楽をやっているんだな、とむしろ拍子抜けしてしまった記憶がある。
もしも彼らの音楽が、あの見た目と同様に奇抜さを売りにしたものだったなら、僕は、”ああやっぱり”と思って彼らを好きになりはしなかっただろう。結局、曲が気に入って、最初は”?”マークの対象だったあのヴィジュアルにも妙に愛着が湧いてしまい、そのまま僕は下敷きの中にKISSの切り抜きを入れ、ホウキを持ってジーン・シモンズの真似をするような正統派のミーハー・ファン(!?)の仲間入りを果たしてしまった。

初来日公演にも、2度目の公演にも、小遣いを節約してなんとか行った。チケットの取り方も良くわからなかったから、武道館の、殆ど天井に近い席だったが、それでもステージ上に火柱が立つと暑く感じたし、好きなバンドの曲を大声で歌うことがどれだけ楽しいかを知った。僕のロック・ファンとしての基本的な部分は、KISSとの出会いによってできあがったともいえる。

AEROSMITHの本当の凄さは、実はまだよくわからなかったし、QUEENにも最初はついていけなかった。しかしKISSはいつも入り口を大きく開けていた。そんな彼らを初めて取材した時は、テレコを持つ手が震えた。今ではだれが相手だろうとズケズケ質問するようになってしまったが、僕が”ああ、とうとう30代に突入してしまった”などと嘆いている今も"LARGER THAN LIFE"なバンドとしてシーンに君臨し続けている彼らは、やはり文句なしに凄い。

あまりにプロフェッショナル過ぎて、それが嫌になったこともあるが、やはり”育ての親”を心底嫌いになることなど不可能だ。彼らには、これからも沢山のロック・ファンを育ててもらわなければ・・・。

実は、僕は増田と同学年で、KISSが初来日した'77年には高校2年だったのだが、僕にとってKISS,QUEEN,AEROSMITHの”御三家”は遠い存在だった。BEATLESで洋楽に入り、中学でLED ZEPPELINとDEEP PURPLEにハマった僕は、高校の頃にはRAINBOW,KING KRIMSON,YES,BOSTON,ジェフ・ベックその他を聴いたり、より古い時代のCREAMやFREEに遡ったりしていたのだ。

勿論、同級生の中には御三家のファンもいたが、当時KISSやAEROSMITHに批判的な評論家も少なくなかったせいか、生意気盛りの高校生の僕としては、何故か知らねど”今ハヤリの御三家”を否定することこそ本当のロック・ファンである証だという気がしてしまったのだ。庄司薫ではないが、後で考えると「ギャッ」と叫んで赤面するようなことを若いうちは考えたり言ったりするものである。(皆さんも気をつけましょう)それにしても、当時の日本の雑誌の”御三家”の取り上げ方も酷かった。KISSやQUEENを推していた某誌での子供じみた取り扱いを見ていて、もう大人のつもりだった僕は「これは子供向けのマガイモノだ」と決め付けてしまった。

4つ下の学年の平野、前田、藤木あたりが「子供騙し」だ「いや凄いんだぞ」と言い合っているのである。音楽に何が成しうるか、ロックの芸術性とは・・・と青くさい論議を続ける僕や友人達にとって、御三家は考慮の外だった。だが、大学に入って心にゆとりが生まれた頃、僕はハタと考えた。僕はロクにKISSの音を聴いたことがないではないか。音を聴かずして批判など出来ようか(いや、出来はしない・・・反省)現に、高校の時ラジオでQUEENを聴いて好きになったじゃないか。自分がKISSをバカにしていたのは、雑誌の取材で道化を演じ、ライヴで血ヘドを吐いているイメージからではないのか?

そして、実際に音を聴いてみると、これが非常にいいのだった。初期のKISSは、BOCやNEW YORK DOLLSを生んだNYのロック・シーンから出てきたバンドらしい硬質の”都会的ロック”をやっていた。土の臭いのするアメリカン・ブルーズ・ロックとは対照的なヘヴィ・メタル・サウンド。しかもKISSにはBEATLESからの影響とも思えるポップ・センスが備わっており、キャッチーなメロディ作りの才能があった。

誤解を恐れず言うなら”LED ZEPPELINがBEATLESの曲をやっているような音”が初期のKISSのロックだったのかもしれない。

あのメイクやパフォーマンスも、アメリカという巨大なマーケットを相手とする"究極のショウマンシップ”として捉えれば、戦略的に高く評価出来る。ひと握りの”高踏派”が何と批判しようと、”売れれば勝ち”である。

しかもKISSは商品が”本当に優れたハード・ロック”であったという点がBAY CITY ROLLERSあたりとは決定的に異なる。KISSの音楽には売るべき価値があった。KISSのーというよりジーンとポールー音楽的才能が”本物”だったからこそ、今もKISSは第一線で活躍しているのだ。

”キャラクターの異なる4人の集合体”という部分で、おそらく初期のKISSは手本はBEATLESだったろう。そこから出てきた”ジーンとポールの役割分担”は、メイクを落とした後のKISSにも受け継がれ、ポールは”セックス・シンボル”プラス”産業ロック”をジーンは”ヘヴィ・メタル”と”いかがわしさ”を担当している。

アリーナ・ロックの典型としてのKISSの今後の課題は、”誰に、どんな夢を売るか”なのではないだろうか。


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